石巻市に震災ボランティアで行ってきました。(5月19・20日)
昨年の5月の連休に気仙沼市、7月に石巻市に震災ボランティアに行き、1年たって被災地の現状はどうなっているのか、マスコミも被災地の報道が少なくなっているだけに、必要な支援ができたらという思いで石巻に行きました。昨年来宗田県会候補を先頭に日本共産党川崎部地区委員会でボランティアを送り出してきました。今回で14回目となるボランティア派遣隊は、10代から60代の幅広い年代の男女、13人が参加しました。
第1日目の19日は、居住被災者(1階が被災しても自宅で頑張っている方々)の実態調査をしました。
この方々は、行政や国からの支援がほとんどなく、ボランティアもほとんど入っていない、実態もほとんど捕まれていない方々でした。
共産党石巻救援センターは、実態をつかむために調査を開始し、居住被災者のマップ作りをして現状を把握をするところから始めるといのが目的です。
私達は、この日、三組に分かれて湊地域に入りました。明細地図を片手に人が住んでいる家には○、不在△、壊れた家もしくさら地の印をつけてチェックします。地図と照らし合わせて、「ここにも家があったはずなのに」とみるみる地図上にが増えていくと、なにかむなしい思いになります
私たちの組みは、2時間足らずの行動で 地図上で30軒ほどまわり、家を直して住んでいる5人の方からお話しを聞くことができました。
要望など話しを聞いていき、次のような要望が出されました。
・街灯がなく夜歩くのが危ない。
・側溝にゴミがたまる/側溝の蓋がない。
・生水が飲めずミネラルウォーターを支給して欲しい。
・家の建て直しの補助金がおりない、などでした。震災当時は、避難所や仮設住宅には支援物質や食料が届きましたが、ここは陸の孤島状態で、「10日間くらい食料、暖房もなく大変な思いをした」と話してくれました。
今でも、仮設住宅には電化製品などが支給されていますが、ここには何も支給されず、泥かきから全部自分達で借金までして頑張ってきました。津波で半壊した1階部分は、補助金は出たもの大半は、自己負担です。
とにかく話しができたお宅ではどこでも「よく来てくれた」と言って堰を切ったように話しをはじめます。こうした活動が求められていることを感じました。
なんとか支援の手を届けるためにも、こういう要望を行政に届けていきます。
2日目は、仮設住宅で無料バザーを開催しました。ここでも2組に分かれて、万石浦の仮設住宅101世帯、全部を訪問して食材(お米、玉葱、ジャガ芋、ティッシュ、洗剤など)を配布しながら要望などを聞き取るチームと衣類の無料青空バザーを行うチームで活動をしました。
必要としているのは、トイレットペーパーなどの日常品や下着類など喜ばれました。
ボランティアに行って、支援の内容は少しずつ進化して変わってきていますが、ボランティアとして活動することはたくさんあるなということを感じて帰ってきました。