第83回川崎メーデー 開催!富士見公園に900名!(5月1日)
今年の メインスローガンは、『働くものの団結で勝ち取ろう!賃金。・所得引き上げと雇用・仕事確保ー原発依存、TPP参加、消費税増税と社会保障「一体改革」をやめさせ、安全・安心な社会をめざそう』
です。式典で 争議団の紹介がされ、新たに特別養護老人ホームの緑陽苑、川崎社会保険病院の労働組合の組合員が壇上で不当労働解雇・病院の存続を訴えました。新たなたたかいに踏みだして行動する姿に感銘します。私も元気をもらいました。頑張りましょう!
メーデーのルーツとは!
日本で最初のメーでーは1920年(大正9)5月2日、上野公園で行われた。5000人の労働者が旗やノボリを持って参加した。戦前のメーデーは警備が厳重で危険人物とみなされた者は外出が許されなかった。
戦時中、禁止されていたメーデーも1946年(昭和21)11年ぶりに復活。雨の中50万の人々が皇居前広場に集まった。
1952年(昭和27)のメーデーは血に染まった。デモ行進の人々に武装警官が発砲し、2人が殺され1000人以上が逮捕・起訴された。裁判では、全員が無罪になった。(血のメーデー事件)
川崎のメーデーの始まりは、1927年(昭和2)5月1日、川崎、鶴見の労働者を中心に2500人が稲毛神社のけいだいに集まった。労働者は労働条件の改善を求め、総持寺までデモ行進した。これが第1回メーデーだ。
ところで、世界のメーデーのルーツは、なんと1886年5月1日(126年前)アメリカのシカゴを中心に19万人の労働者が8時間労働の法制化を要求しストライキを行った。
1889年、エンゲルスの指導のもとにフランス革命100年を記念して、パリで第2インターナショナルが創設された。この時、労働者階級の国際連帯のために5月1日を休日にすることを決定した。やがてメーデーは全世界へと広がった。 (川崎医療生協の新聞より)